名物裂・更紗の基礎知識
このコンテンツは「名物裂を知る」および「更紗を知る」の二項目に分け,名物裂の基本知識ならびに名物裂の一種でもある更紗の基礎知識についてご紹介します。
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名物裂を知る
室町時代から江戸時代中期にかけて渡来した膨大な種類の裂地のなかでも,優美さや豪華さ,染色技法の精緻さや造形美に優れ,かつ異国情緒や伝来の数寄に誘われる一群の染織品が「名物裂」と呼ばれ,その高い芸術性ゆえに鑑賞の対象として今日では珍重されています。
では,なぜ一群の染織品に対して「名物裂」という誉れ高い呼称が与えられたのでしょうか? ここではいくつかのキーワードに沿って解説いたします。
1. 名物裂のルーツとは?
主として中国の南宋・元・宋・明・清代に舶載され,その時代に作られた絹織物(金襴(きんらん)や緞子(どんす)など)およびインドやペルシャ,東南アジア,ヨーロッパで作られた綿織物(更紗(さらさ)など)。それらから大きな影響を受けた日本製の染織品も含まれます。渡来した時代によって「極古渡り(ごくこわたり/14世紀)」「古渡り(こわたり/15世紀)」「中渡り(なかわたり/16世紀前半)」「後渡り(あとわたり/16〜17世紀)」「新渡(しんと/17世紀)」に分類されます。
ちなみに,各々が特定の呼称で珍重されてきた裂に対して「名物裂」として明確に集成されたものとしては,松江藩主・松平不昧による『古今名物類聚(ここんめいぶつるいじゅう)』(寛政3(1791)年)に収められた「名物切之部(めいぶつぎれのぶ)」が挙げられます。こうして名物裂として珍重された裂は日本の染織品に大きな影響を与え,日本の模倣品も作られるようになりました。
2. 名物裂の用途とは?
舶載され渡来した当初は,寺社における高僧の袈裟(けさ)や帳(とばり),打敷(うちしき)として,猿楽においては装束として,さらには武将の衣装としても用いられました。その後,茶道においてさまざまな美術工芸品とともに用いられるようになり,名物裂を語る上で欠くことのできない用途であります。
たとえば茶器を納める仕覆(しふく)や帛紗(ふくさ)だけでなく,書画を鑑賞するために表装する掛け軸にも「名物裂」が用いられ,そうした本来の機能を果たす過程において裂地そのものの美的価値が形成されてゆきます。
また千利休が侘茶を大成する以前は時代ごとに流行を追って使われていた裂は,利休の頃になると,室町時代以前に渡来した裂で表具や仕覆を作るようになりました。そして江戸期に入ると,小堀遠州が古い裂地の手鑑を遺していることからも,古い裂地を蒐集することは,すなわち,名物道具の付属品としての位置づけから,裂地そのものの「美」を鑑賞するに至りました。
3. 名物裂の名称と種別そして文様とは?
○ 名称について
名物裂には,裂地そのものの由来や,作者,所有者(茶人,大名,僧侶など)の名前,茶器をはじめとする名物品,さらには生産地や能装束として使われるさいの演目などが名称として各々の裂地に付けられました。
その例として「利休緞子」「道元緞子」「珠光緞子」「角倉金襴」「高台寺金襴」などがあげられます。
いうまでもない話ですが,「何々裂」というのは俗称ではあるものの,あまたある裂地のうち約200種のみに名付けられたものです。気になる名称の名物裂の文様や色調,その由来はもとより,道具や本紙との映り具合を観賞するなどして,裂地への興味や関心を広げていくのも,楽しみ方のひとつです。
ちなみに裂地の正式名称は,「地色」「文様」(または「模様」。「素紋」「無地」を含む)、「織り方」の合わせて三つの染織工芸品における大切な要素の名称をつなぎ合わせれば,おおよそわかります。例えば,「高台寺金襴」の場合,地色は「紺地」,文様は「牡丹唐草文」,織り方は「金欄」なので,正式名称は「紺地牡丹唐草文金欄」です。
○ 種別について
名物裂を染織工芸品の種別によって分類すると以下のものが挙げられます。
金欄・銀欄(きんらん・ぎんらん)
- 錦地に平金(金箔)糸・平銀(銀箔)糸または撚金糸・撚銀糸を織り出したもの。中国では「織金」と呼ばれ宋代に織り始めたと考えられています。日本においては,天正年間に,大阪・堺に来た中国の織工によって技術が伝えられて以来,輸入から国内生産へと移り変わりました。その豪華絢爛さゆえに,金襴は名物裂のなかでも最高の位置にあり,袈裟や能装束,表装裂などに用いられます。
緞子(どんす)
- 先染めされた経糸(たていと)と緯糸(ぬきいと)を用い,一般には五枚繻子(しゅす)地に三枚綾で文様を織り出した絹織物。名物裂のなかには六枚変わりの繻子に五枚綾組織で文様を描いた荒磯や笹蔓緞子などもあります。深みのある渋い色合いが特徴で,地が厚く光沢のある織物。
- 「白極緞子」「正法寺緞子」「本能寺緞子」「宗薫緞子」「下妻緞子」の五種は,名物裂のなかでも「五種緞子」と呼ばれています。
錦(にしき)
- 複数の色糸の経糸と緯糸で文様を織り出した絹および綿織物。経糸で地と文様を織り出した経錦(たてにしき),緯糸で文様を織り出した緯錦(ぬきにしき)などがあり,経錦は漢代から,緯錦は唐代から織り始められており,日本でも飛鳥〜奈良時代にかけてさかんに織られていました。代表的な錦としては「蜀紅錦(しょっこうにしき)」「有栖川錦」「いちご錦」などがあり,金襴とは趣が異なり重厚で織物然とした美しさが特徴です。
間道(かんとう)
- 縞(竪縞)・横縞・格子・絣などの特色を持つ絹・木綿および交織の裂地。漢東・広東・漢渡・広重などの宇をあてることもあり,特に名物裂に見られる縞織物はほとんどが絹織物で,それらは中国から渡ってきたものと思われます。いっぽう,南蛮船によって東南アジアから渡来した縞織物は木綿が主であったことから,綿を意味する「間道」と呼ばれるようになったとも言われています。優雅さとは一味ちがった渋みや新鮮な美しさが特徴です。
風通(ふうつう)
- 表と裏あるいは地と文様が全くの色替わりになる二重織(ふたえおり)が特徴。一例として,経糸に白と赤を交互に並べ,緯糸も同様に白と赤を交互に並べ,白経は白緯,赤経は赤緯と組織して織ると,それぞれの文様が明確にあらわれます。風通という名称の由来は,そうした二色の間にできる袋状の空隙ができ,そこに風を通すと見ることから。表具の中縁裂としても用いられます。
紹巴(しょうは)
- 明代末期から織り始められた紋織物の一種。細い横の杉綾状あるいは山形状の地紋を持ち,経糸・緯糸ともに強い撚りをかけ,多彩な色糸と柔軟で手触りの良い織物です。「雲板文」「牡丹花文」「花兎文」「富貴長寿」など文字の文様が多いのも特徴の一つです。
金羅・金紗(銀紗)(きんら・きんしゃ・ぎんしゃ)
- 捩れ組織の羅や紗などを用い,金糸(銀糸)を織り込んだり縫いつけたりして文様をあらわした薄物の裂。桃山時代の渡来した裂のなかには,古田織部の好んだ織部紗があり,これを模した和製の裂が竹屋町裂です。
印金(いんきん)
- 金襴が織られ始める前の中国では,糊や漆などで金箔を貼ることで型文様をあらわしていており,それを銷金(しょうきん)と呼んでいました。羅や紗などに施され,なかでも紫地の羅に牡丹唐草文が最上の印金とされました。印金は,重要な表装には欠かせない裂の一つです。
モール
- 金襴をはじめとする平金(金箔)糸とは異なり,絹糸を芯とし,細く切った金線を自由に巻き付ける,いわゆるモール糸が用いられた織物。ちなみに「モール」という言葉の由来として,インド・ムガール王朝が日本で訛って「モール」となったとする説があります。
天鵞絨(ビロード)
- もともとスペインやイタリアといった南ヨーロッパの織物で,13世紀のイタリアが発祥とされています。南蛮船によって舶載され,ポルトガルから日本へと渡来。滑らかな肌触りと光沢があり,戦国武将は好んで陣羽織に用いました。
更紗(さらさ)
- 更紗については,「更紗の魅力」で詳しくご紹介いたします。
○ 文様について
名物裂の文様はバラエティに富んでいます。詳細につきましては「文様・更紗の美」でご紹介いたしますが,ここでは代表的な文様を挙げてみます。
植物文様
- 利休緞子に代表される,梅の花を幾何学的に五つの円を梅の花弁に見たてた「梅鉢文(うめばちもん)」。写実的に梅を図案化した「梅花文」。仏教美術の装飾文様として古くから日本にも存在し,“中国から伝来した蔓草(つるくさ)”や“からみ草”が名称の由来とされる「唐草文(からくさもん)」。唐草文のなかでも,多くの名物裂に見られる「牡丹唐草文(ぼたんからくさもん)」。その他に,「唐花文(からはなもん)」「草花文(くさばなもん・そうかもん)」「笹蔓文(ささづるもん)」などが含まれます。
動物文様
- 鳳凰や龍といった空想の動物から,十二支や獅子,象,鹿などの動物を図案化したもの。古くから中国で四瑞(しずい/四霊とも)とされた空想上の動物の文様には,水中に棲み天に昇って自然的な威力を持つとされる龍を図案化した「龍文(りゅうもん)」や,天下泰平や聖徳の天子の兆しとして現れるとされる鳳凰を図案化した「鳳凰文(ほうおうもん)」があります。実在する動物の文様としては,片方の前足を上げ後ろを振り向いた兎と草花や樹々とを組み合わせた「花兎文(はなうさぎもん)」などがあります。
人物文様
- 唐子や童子,童女,中国における想像上の類人猿である猩猩(しょうじょう),胡人(こじん:古代の中国で北方や西方の異民族),不老不死で神通力を持つ神仙(しんせん)を図案化したもの。「唐子文」など。騎乗する人物が狩猟する姿を図案化した「狩猟文」も含まれます。
自然文様
- 自然界のさまざまな事象を図案化した文様。波や流水など。「波文(なみもん)」の代表的な例としては,波間を泳ぐ鯉を金糸で織り出した「荒磯緞子」,「本能寺緞子」や「三雲屋緞子」といった青海波と宝尽文との組み合わせたもの。「万代屋緞子」のような波に梅の花を組み合わせたものもあります。
天象文様
- 雲や雨,雪や月,霞など天体や気象に関連する文様の総称を「天象文様」といいます。なかでも種類の多いのは「雲文(うんもん)」で,松竹梅や鶴など吉祥文に雲を組み合わせた瑞祥の意味を持つ「霊芝文」や「瑞雲文」が特に多く存在します。
吉祥文様
- 名物裂のみならず用いられるのが,宝物を並べた「宝尽文(たからづくしもん)」。宝物は中国の八宝思想に由来し,日本では,如意,宝珠,打出の小槌,宝鑰(ほうやく),隠れ蓑,丁字,金函,砂金袋,巻物がモチーフとなります。それらを組み合わせて図案化することで福徳を招来する文様の総称を「吉祥文様」であります。
幾何学文様
- 基本的に直線あるいは曲線で構成された幾何学的なモチーフで構成された文様のこと。幾何学文様は主に「幾何学文」「蜀紅文」「縞文」の三つに大別されます。鱗や亀甲,麻の葉,網代,雷文,井桁,七宝,石畳,卍字繫ぎ,松皮菱などは「幾何学文」。八角形や円を連続させた幾何学文様の中に牡丹や雲竜などを配置した「蜀紅文(しょっこうもん)」。「縞文(しまもん)」は,直線や直線に近い曲線で構成した文様のことです。
京文化通信では,代表的な名物裂やその文様を写真でご紹介する予定です(現在準備中)。そこで代表的な名物裂の文様をイラストレーターで図案化したサイトを参考までにご紹介いたします。
http://www.viva-edo.com/komon/komon_meibutugire.html
更紗を知る
更紗(さらさ)とは,インドを発祥とし,手描きまたはプリント(木版や型紙)で,綿織物に花・人物・鳥獣・幾何などの模様を染め出す技法のこと。その語源については諸説があるものの,インドで多彩で極上な布を意味する「サラッソ」(sarasoまたsarasses)と呼んだところから,「さらさ(更紗)」という和製語が生まれたとされています。
ちなみに,更紗といえば,誰もが,色が多彩で異国情緒にあふれた木綿の生地を思い浮かべることでしょう。ところが更紗そのものを明確に定義することは難しく,インド更紗をはじめ,ジャワ更紗,ペルシャ更紗,シャム更紗さらにはヨーロッパにも更紗が存在します。
1. 更紗のルーツとは?
更紗の染色技法は,木綿の栽培技術を世界に先駆けて獲得したインドで,紀元前後には確立していたといわれています。一般的に天然染料を使って木綿に華やかな染色を施すことは難しいとされていますが,インドでは,当時から極めて科学的な手法で鮮やかな染色を可能としていました。例えば,華やかな赤い色に染めるために茜(あかね)に明礬(みょうばん)を触媒剤として使う…etc。
そんなインド更紗が世界に広まったのは,スペインやポルトガルをはじめとするヨーロッパの国々が,航海術を発達させて,東へと航路を広げていた15世紀以降のことです。かつて木綿の栽培が行なわれていなかった日本においては,スペインやポルトガル,イギリス,オランダといった国々の南蛮船と称された貿易船によってもたらされました。文献としての史料で確認できる更紗の渡来のはじまりは17世紀になりますが,それ以前(16世紀)に日本へもたらされていたと推定できる史料も存在します(『東方諸国記』トメ・ピレス)。
以上はさておき,更紗が貿易品として本格的にもたらされたのは,江戸時代に入ってからでありました。
2. 大名や茶人のみならず町衆までを虜にした更紗
今日では誰もがほぼ毎日肌にする「木綿」ですが,南蛮船と称された貿易船がやってくるまで,特にインド更紗は,大名をはじめ茶人,富裕な町衆といった人々だけが入手できた「高価な舶来品」でした。
大名は武具や陣羽織に更紗を用いましたが,そうした実用的な用途のみならず,その貴重さゆえにコレクションの対象物にもなりました。そのなかの一つとして有名なのが,近江(現在の滋賀県)彦根・井伊家伝来の「彦根更紗」。その裂のコレクションは約450点にもおよび,その大半が古渡り(室町時代から江戸時代初期にかけて渡来した更紗)のインド更紗であり,現在,東京の国立博物館に収蔵されています。なかには,日本から注文した更紗をはじめ,王侯貴族の身の回りに使われたものや宗教儀礼に使われたものまであります。
茶人は,名物裂と同様に,茶器を納める仕覆(しふく)や帛紗(ふくさ),風呂敷,さらには客人用の布団にも更紗を用いました。
さらに富裕な町衆が更紗を用いた事例の一つに,祇園祭の「鉾」や「山」の胴掛けがあります。なかでも祇園祭・南観音山に伝来する「茜地鶴松山水文様更紗」については,同じような文様がニューヨークのクーパー・ヒューウィット博物館やトロントのロイヤル・オンタリオ博物館に収蔵されている点が注目されます。
いずれにしましても,更紗は,限られた身分の人々によって「珍重」された,異国情緒にあふれる「高価な舶来品」であり,染められた文様をとおして「未知との遭遇」を与えてくれる当時としてはメディア的な存在でもありました。
渡来するまでは見たこともない鮮烈な赤を主体にした華麗かつ明るい染色。南国の花々や動物。当時の粋人の眼には,更紗の全てが神秘的に映ったのではないでしょうか。
そのいっぽうで,輸入更紗には手が届かない庶民向けには,「和更紗」と呼ばれる,輸入更紗を模倣しつつも,和風の風情をプラスした国産更紗が作りだされました。
3. 世界の更紗とその文様について
更紗の発祥地がインドであることは既に述べてきましたが,日本に伝来する以前から,更紗は世界の国々へと輸出され,人々の心を魅了するだけでなく,各々の国の染色文化に大きな影響を与えてきました。そしてアジアではアジア的な,ヨーロッパではヨーロッパ的な,独自な色彩と文様が染められた更紗が作り出されます。
更紗がそういった形で独自に変化を遂げていったのは,魅惑的な染色法のみならず,取り扱いがしやすく丈夫という木綿の生地が持つ特性も見逃せません。
ちなみに,インドから輸出された更紗については「古渡り更紗」と呼ばれ,輸出された国それぞれに呼ばれ方があります。たとえば,タイであれば「シャム古渡りインド更紗」,ヨーロッパであれば「ヨーロッパ古渡りインド更紗」…etc。
では,世界に散在する更紗の特徴と文様についてご紹介いたします。なお文様の詳細につきましては「文様・更紗の美」でご紹介いたしますので併せてご覧ください。
インド更紗
- インドの更紗が世界の人々を虜にしたのは,なんといっても,木綿の栽培技術を世界に先駆けて獲得しただけなく,木綿に鮮やかな色彩(特に赤)を染色するうえで天然染料でありながら科学的な手法を確立していたことがあげられます。
- その染色には主に茜(あかね)が使われましたが,染色を施す前に,水牛の乳とミロバランの実から抽出した液を混合し,それを綿生地に浸します。すると繊維が動物性に近づくことで,さまざまな色彩を施す変化が導かれます。次に赤くしたい部分には明礬(みょうばん)を,黒くしたいところには鉄塩を,紫にしたいところにはこれらの混合液を塗った後,茜の染め液に漬けます。すると,たった一回の染めで多色が現れ,しかも明礬などの触媒剤が付着していていない部分は白のまま。さらに藍色を染めるときには蠟伏せしてから藍を染めたり,緑の場合はミロバランを重ねたりしました。
- インド更紗の文様については,大きく分けて二つあります。一つ目は,細手の良質な綿糸を用いた金巾(かなきん)などに,鉄製あるいは竹製のカラムと呼ばれるペンのような道具で繊細に手描き文様を施す方法。二つ目は,日本で「鬼更紗」と呼ばれる,太手の綿糸を用いた綿生地に木版やテラコッタ版で文様を施す方法です。
- こうして文様が施されたインド更紗は,インド国内向けのみならず,輸出先の需要や好みに合わせて作られました。
ペルシャ更紗
- 技法的には木版が主体でインド更紗に近いとされています。イスラム文化圏の特徴ともいえる幾何学的な文様をはじめ,バラやチューリップといった西洋の花の文様やペイズリー文様などがあります。
シャム更紗
- 「砂室染め」や「紗羅(しゃむろ)染め」と呼ばれていたタイで作られた更紗。文様にはタイに数多く点在する仏教寺院ふさわしいモチーフが多く,緻密で繊細な手描きの線で表現されるのが特徴です。
ジャワ更紗
- 日本では「バティック柄」と呼ばれているインドネシアの更紗で,蠟防染め(ろうけつ染め)が特徴。技法としては主に2種類に大別され,チャンティンという銅製の道具を使った手描きと,チャンプと呼ばれる銅製の型を使って量産する方法があります。地域によって文様や色彩が異なり,中部では抽象的な幾何学文様と茶褐色や藍色が特徴で,北部では中国やインド,ヨーロッパの影響を受け花や葉,動物の文様を色鮮やかに施します。
ヨーロッパ更紗
- インド更紗の輸入超過に悩んでいたヨーロッパにおいて,独自の更紗をつくりはじめたのは,1648年,フランス・マルセイユのトランプ業者を嚆矢とします。木版彫刻を用いたヨーロッパ更紗の技法はヨーロッパ各地へと広がり,産業革命以降,銅版やシルクスクリーンといった技法による機械染めの開発により,繊細かつ色数の多い,今日の洋服の主流ともいえるヨーロッパのテキスタイルへと変貌を遂げる礎となりました。
4. 日本の更紗とその文様について
インドから渡来した更紗から大いに刺激を受けて,17世紀の終わり頃から京都や堺(大阪府),長崎の出島屋敷,佐賀の鍋島藩などで作られた模造の更紗のことを「和更紗」と言います。
和更紗の技法は,大きく分けて「手描き」や「木版」のみならず伊勢型紙による日本独自の「型染め」の三種類があり,木版と型染めを併用することもありました。
「手描き」かんしては『佐羅紗便覧』(安永七(1778)年)や『増補華布便覧』(安永一〇(1781)年)で技法が紹介されていたものの,量産するにあたり日本独自に考案されたものこそが「型染め」でした。なかでも伊勢型紙は三重県鈴鹿の伝統工芸として現在に至っている代表的な技法で,何枚もある渋紙を使い,刷毛で弁柄(べんがら)などの顔料や蘇芳(すおう)などの染料を,直接摺り込みます。この伊勢型紙のみならず,京都には京型紙,東京では江戸型紙,その他にも会津や仙台でも型紙が作られていましたが,当時のものはほとんど現存していないのが実情です。
顔料を使うために耐水性が悪く変色するなどの欠点もあった和更紗でしたが,糸づくりや染色が比較的容易かつ安価であった木綿のおかげで,庶民にも文様染めへの関心が高まりました。そしてついには日本独自の更紗文様も生まれ,布団や風呂敷,夜具や帯などに使われ,日常生活のなかにも取り入れられました。現代においても,衣服や家具,建造物に和更紗の文様が使われていることは,その証左です。
ここでは代表的な和更紗をいくつかご紹介いたします。
京・堺更紗
- 現在の京都や大阪府堺市で作られた和更紗。型紙の上から群青,黄土,弁柄などの顔料を擦り込み文様を染めていた。『毛吹草』(正保二(1645)年)には,すでに「紗羅染(シャムロゾメ)」が山城(現在の京都府)の名産であると記されています。
長崎更紗
- 長崎の出島にあった唐人紺屋で作られた和更紗。蘇芳を沈殿させ顔料にしたものを染料として用いるため赤茶系の色合いが特色。龍をはじめとする中国風の文様や西洋人物が描かれました。
鍋島更紗
- もともとは幕府への献上品として藩の政策で保護されていた更紗で,型紙のみならず木版も使われましたが,色彩については長崎更紗と近似していました。
京文化通信では,代表的な名物裂やその文様を写真でご紹介する予定です(現在準備中)。そこで代表的な名物裂の文様をイラストレーターで図案化したサイトを参考までにご紹介いたします。
http://www.viva-edo.com/komon/komon_sarasa.html
http://www.viva-edo.com/komon/komon_sarasa2.html
参考文献
- 『名物裂』(切畑健=本文/京都書院/1994年)
- 『名物裂 渡来織物への憧れ』(「特別展 名物裂 渡来織物への憧れ」図録/五島美術館/2001年)
- 『茶の裂地名鑑』(淡交社編集局編/淡交社/2001年)
- 『表具のすすめ』(法蔵館/1991年)
- 『更紗』(吉岡幸雄=本文/京都書院/1993年)
- 『和更紗文様図譜』(熊谷博人=編著/クレオ/2009年)
- 『別冊太陽 更紗』(平凡社/2005年)